加速する時間の中で
街を歩けばたくさんの商品が売られ、インターネット見ても雑誌を見てもおすすめの商品や物が紹介され「次はこれ」と人々の消費欲が掻き立てられる。サステナビリティを考えるとそういった資本主義の姿に疑義の眼を向けることも不思議なことではないけれど、そういう社会にあって注目すべき物のひとつは変わらず長く愛されている商品だ。
昔「一生使えるシャープペンシルが欲しい」と思いぺんてるのKERRYを購入した。このKERRYは1971年に発売され、今も文具店で購入することができる。ロングセラーであることが素晴らしいデザインの証明になっていて、機能的にも見た目もとても好きだ。
しかしこのデジタル時代にはスケジュールの管理もメモもコンピュータの中で完結させた方が遥かに便利。ご多分に漏れずペンで紙に文字を書くという行為は忘れ去られていて、しかしこのペンてるのKERRYは「紙に向き合ってみようかな」と思わせてくれる。
新しいノートを買うと筆記具に拘りたくなる。コンピュータに親しむ前は文具が好きで、いろいろな筆記具を買っては試していた。きっと人間には「書く」という行為を希求する心があり、つい新しいノートを買ってしまうように、ふとその心に導かれるようにして書いてみたりする。
久しぶりに手で文字を書いてみると思考する速度がだいぶ落ちることがわかる。手で文字を書いているとき、頭では次の言葉が浮かんでいるのに進まないことがもどかしく、しかし見逃しも飛ばしもしないこのスピードが人間の持てる本来の速度なのかもしれないと思う。でもそれを逆手に解釈すると、社会の進む速度がそれだけ早くなっているということだ。
同じものを長く使うことが地球にもよいということを勘案すれば昔購入したグリーンのKERRYを使えばいいのだけど見つからない。というわけでブルーのKERRY。よい意匠のものが必ずしも使いやすいとは限らないけど、書き味も素晴らしい。KERRYにはキャップが付いていて使用する前にキャップを付け替えなければいけないのだけど、その時間で脳を書くモードに切り替えることができる。意識して手で書くことによって人間の速度を経験することは、加速していく時代の中でより価値のある時間になっていくのだと思う。