Shinya

分人

自分が自分であるためのよりどころみたいなものがあると思う。どういう振る舞いをしようか、どんな振る舞いならば自然か、自分がひとつひとつの行動をするときにそのよりどころに頼っている感じがする。

別になにをしてもいいのだろうけどよりどころがないと不安なんだろう。自意識とも言えるか。自分はこういう人だからそういう振る舞いをする。僕が思う僕らしさで僕がつくられていく。その行動がポジティブであれネガティブであれ「縛り」とも言える。なぜ自分で自分を縛ってしまうのだろう。

そう考えるとき、平野啓一郎さんの「分人主義」を思い出す。ひとつの人格を持った自分ではなく、いろいろなコミュニティに対して複数の人格を持った自分がいる。つい「本当の自分」を考えてしまうけど、自分がたくさんいると思うと安心する。

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