Shinya

こばなし

うしろめたい

社会と接していないと何かしらのうしろめたさが出てくる。なぜ。意味のないことが大切だと言いつつ、意味のあることもやっていないといられない。意味のないことをまっとうするのもかなりの鍛錬が必要だ。「意味のないことをするのが大切だよね」と言っている人をうらやましく思う。それは余裕がないとできないから「わたしは余裕です」と言っているのと同じだ。ラジオでアートディレクターの人が「東京は無駄ができるところです」と言っているのを聞いて「なるほどな」と素直に思ったのだけど、昔から資産と無駄はみごとにつながっているのだろう。

あてにならない

自分の価値観や感覚があてにならないことを感じる。自分が経験してきたことはたったひとつしかないのにいつもそれに縋ってしまう。そういうときはFACTFULNESSに書いてあるような事実を思い浮かべて自分を客観視してみると不思議と安心する。仕事ができる人が仕事ができない人を貶めるような発言をしていた。そういうのも自分の経験や価値観がある程度正しいと感じるから出る態度だ。そういう人に仕事をお願いしたいと思わないし、とくにSNSで書かない方がいいと思う。必要なのは月からメタ認知をすることではないだろうか。

はたらきすぎる

つい働きすぎてしまう。身体を壊さなければそれでもいい気がする。うちはブルーワーカーの家系で、ばあちゃんも「百姓だからしょうがねえ!」と明るく言う。この「明るく」というのがポイントでそこに自負すら垣間見えるのだが。ひたすら働いてきた血が僕にも残っているような気がする。呪いのようだけど。自分の生まれ育った環境や性格や適正をいろいろいろいろ考慮して毎日同じようなことで悩むけど自分が潰れないようにずんずん前に進んでいく。それを丁寧な暮らしって呼びたくないですか。呼ばせてください。