Shinya

便利の階段を登る

半年前にiPhoneをMagsafe対応のものに変えた。これを目的にしたというよりも買い替えたiPhoneにMagsafeがついていたという感じだけど、ワイヤレスで充電ができるなんてすごい未来だなと思っていた。

しばらくしてワイヤレス充電ができる充電器も買ってみた。なんとこれでiPhoneとAirPods、Apple Watchを一緒に充電できるらしい。ケーブルが要らないのに3つも一緒に充電できるなんて…。未来が3つくっついている。わたしはすべてを手に入れた。

またしばらくすると、今度はワイヤレス充電ができるモバイルバッテリーが欲しくなった。ケーブルを持ち運ばなくていいのは荷物が減っていいな。スマホにくっつくから場所もとらない。すでにモバイルバッテリーは持っているけど、できるならこっちのほうがいいな。

はたと思う。モバイルバッテリーが必要になるくらい依存していいのだろうか。電気を持ち歩くってなに。しかしわたしたちはなぜ毎日スマホを充電しているんだろう。というかスマホってなんだ。電気が必要なペットか。

便利は階段を登るように作られていく。「ちょっといい」を繰り返して未来を作る。便利を追求する人間の好奇心は素晴らしいけど、逆におそろしいと思うこともある。目の前の「ちょっといい」が正しい道を歩んでいるのか不安になる。毎日ちょっとの便利にお金を出していたら未来から突然名も無きロボットがあらわれて、「あなたの役に立ちますよ」なんて言ってくる。この生活の中でほかにどんな便利があるのだろう。便利を享受すればするほど怖さも増えていく。

なにが正しいのだろうか。ただ生きていくことだろうか。目の前の生き物たちを慈しむことだろうか。生きて死んでの繰り返しの中にポツンといるわれわれはなにを拠り所として生きていけばいいのだろう。目の前のたくさんの便利な四角い箱を見つめながらたまにそんなことを思う。